死ぬまでの道のり、旅、過程を思いっきり楽しもう。

今日も1日おつかれさまでした。

 

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簡単な夜ご飯食べました。

 

今日は前置きとかもなく、
急に本題に入りたいと思います。笑
長くなりますが、伝えたいことがあるのです。


ずっと、「わたしって何がしたいの?」って
考えています。

 

「これが本当にしたかったことなの?」

 

「なんでこんな生活してるの?」

 

「心の底からなにがやりたいの?」

 

自分に若干キレ気味に問い詰める日々。
もう、正直うんざり。
考えたってわからなくて
なんでこんなに考えなくちゃいけないの?って
また若干キレ気味になるのです。
呆れ返ってちょっとひとやすみしていました。
(人生長いし、1ヶ月休んだって大丈夫ですよ。)

 

休んでいるときに
急に降ってきた歌詞。

 

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息を吸って そして吐いて それだけじゃ喜べなくなって

欲しくなって あれもこれも あの人のも だけど

 

僕にあって 君になくて
君にあって 僕にないものがあるから

僕は君を 君は僕を好きになれたんでしょ?

 

叶えた夢の数を数えよう
叶わない夢は誰かがきっとどこかで…


僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で

誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で
誰かがきっと今僕にとっての夢を叶えてくれている

僕もきっと 誰かにとっての夢を叶えている
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RADWIMPSの「夢番地」の中の歌詞。

学生時代、よくうたっていたこの曲。

歌詞はあんまり気にしたことはありませんでしたが
なんだか歌詞が妙に今の自分にしっくりきて
過去の自分から贈り物をもらった気がしました。


だれかのことが「うらやましい」って気持ち
自分では処理しきれないですよね。
わたしも日々、そう感じています。
この世の中、友達とか、彼氏とか、好きな人は
「自分にないもの」を持ってるから「好き」で
でもきっと隣にいる相手も、
「自分にないもの」を感じて、興味を持ってくれて
話をしたり、好意を寄せてくれている。

その人たちを大事にするためには
自分が楽しそうに毎日を生きること。
「自分をとびきりだいじにする」ことなのかなって
思っています。

 

わたしの思いは
ブログでもInstagramでも伝えるのですが
料理教室では、きてくださるし、目と目で話せるから
より強くお伝えしたいなって思いでいっぱいです。
(料理教室という呼び方がしっくりきてないのですが)

「生徒さん」ではなくて「仲間」として

わたしも先生ではない立場から

お料理や伝えたいことは全力で伝えるけれど

「料理」を通して夢を叶える、 その役割を担っていきたいって気持ちです。

 

きてくださるかたたちの夢を応援したい

叶ったら全力で喜んで、苦しかったら力になりたい

悔しかったらいっしょに「くそっ!」て泣きたい

 

みんなそれぞれに夢を見つけることができて
大人の青春を過ごせる場所にしよう。

と思っています^^

 

「死ぬまで全力疾走で楽しむこと」

ゴールは「死」
そのとき、何を思ってたいでしょうか。

 

わたしだったら、
なんだかんだ危ないときもあったけど
楽しく生きてこられて、しあわせだった。

 

死んだあと、子どもや孫が、自分について語るとき
どんなことを言ってもらいたいでしょうか。

 

わたしだったら、
おばあちゃんはね、いっつもお料理が大好きでね
おもしろい料理が毎日食卓に並んでた。
みんなは驚いて食べてたけど、全部美味しかったわ。
悩んだときにはいつもいっしょに考えてくれて
とっても深みのある言葉をかけてくれて
わたしはよく助けられたのよ。

 

それが大きなまとまりとしての「夢」のテーマ。
そういう自分になるためには、
小さな夢を積み重ねて自分をつくること。
死ぬまでの道のり、旅、過程を
思いっきり楽しもう。

 

これからどういう道に進むんだろうか。

わたしもわからないから、わくわくします。
それが周りに伝染すればもっとたのしいと思うから
これからも、お料理を作り続けようと思います。