ゲストハウスに泊まって気付いた時間の使い方と、読書の仕方。

 

8月最後の土日、京都に行ってきました。

 

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すてきな出会いで、そのことはまたお話ししますが

今回はゲストハウスを使ってみた話。

 

まずチェックインして、鍵を開けて中に入ってみました。夜だったので、部屋は真っ暗。二段ベッドが3つあって、それぞれ自分のベッドが居場所です。

 

 泊まってみて、2つの気付きがありました。

 

ひとつめ。

 

"周りにあるものが「やりたいこと」しかないとき、有意義な時間を過ごせる"

 ベッドに持ち込んでいる荷物は1泊2日の荷物だけ。もう荷造りも済んでいるし、シャワーもすぐに浴び終えた。22時。寝るには早すぎる。手元には、本と携帯のみという状態に。

 半ば読むしかない状況で本を読むことは、読まなければいけないという強制力ではなくむしろ、読む時間を与えられていると思いました。

 実はその前に夜カフェで本を1時間くらい読んでいたのですが、集中して読み進めることができていました。そんな自分を発見できたことは大きかったなあと思います。

 あの日は結局12時過ぎまで本を読んで過ごしました。そんなに長く読み続けられるとは思っていなかったので、自分にも夢中になって本を読むことができる部分があったんだな、という発見にもなりました。 

 だったら、自宅でもその状態を作り出すことができたら、やりたいことだけをすることができるのではないか?と。

 喫茶店や図書館に行くとき、できることを誰しもするはず。たとえば、携帯しかなければ携帯を見るし、本を持ち込んでいれば読むし、誰かと約束をしていれば、基本的には話すことに集中します。逆に家にいたとしても体調が悪くてベッドの上にしかいられないときなどは、 ベッドの上で携帯を見たり、本を読んだり、回復させるためにとにかく眠ったり、考えたり。

 迷いを断ち切らなければなりません。「やること」と「やらないこと」を決めるところが鍵になっているような気がします。

 

もうひとつが、

 

「 全部の文章を理解しなくても、自分に響く言葉だけを拾っていけばいい。 」

 読んでいると、どうしても自分の頭の中に入ってこない文章もでてきます。少し完璧主義なところがあり、本の全てを理解できないと読んだことにならないと思って、文章が頭に入ってこない時点で本を閉じることも少なくない私。再び開くこともあれば、読む気分になれなくなることもあります。そんな自分に罪悪感を抱くことも。

 でも今回読むのをやめないで(半ば無理やり).読み進めてみたら、数ページに一回自分に響く言葉が出てきて、そしてまた頭に入ってこなくなる部分が…と繰り返すようになって。その時に、響く言葉ってそのときの自分に合う言葉だったり、求めている答えだったりするのかも、と思いました。もし違う時期に読んだら、そのときの自分に響く言葉も変わるかも知れない。何度も読み返すうちに、その本の一部分が自分にしみ込んでいく感覚を味わうのも楽しみだし、全部の文章を理解するのも、それからでいいのかも、という考えになりました。それを発見できたことだけでも泊まってよかったなと思いました。

 

 それでは、また。